“象潟のかつての海に車停め 三〇分だけ芭蕉を歩く”――秋田県 象潟を往く
●日本海の波濤と十六羅漢岩

 2005年のGW、山形県蔵王・山寺・最上川の旅から引き続いて、この象潟行きが始まる。芭蕉が奥の細道で到達した最北端の地・象潟は秋田県である。したがって、この旅の象潟部分を秋田県のページにもってきた。
 5月4日の午後、最上川に沿って下り、風力発電の風車が立ち並ぶ光景を横に見て、酒田の町に入る。酒田市内から国道7号線に沿って日本海側を北上した。
 吹浦(ふくら)という小さな漁港の先に、十六羅漢岩の表示があり、駐車場と展望台、そして磯の上を歩ける遊歩道がある。日本海の荒波が大地を削ってできた岩に、羅漢像が彫られている。
 羅漢岩を過ぎてしばらくすると有耶無耶の関跡を過ぎる。何の表示もなく(あるいは気付かなかったのか)、まさにうやむやのうちに通り過ぎた。
十六羅漢岩 吹浦の海岸を望む これぞ日本海

●海の底から生まれた街・象潟

 象潟町に入り道の駅・ねむの丘に車を停める。今回の旅で気付いたのは、特に東北地方には道の駅が要所要所にあり、いずれも駐車場が満車状態で大変なにぎわいである。当地の家族連れの一番人気は道の駅であると見た。しかも多くは温泉併設で、一昔前のヘルスセンターとか健康ランドのブームを思い出させられる。
 この道の駅も海を見ながら入れる「眺海の湯」という温泉付き。駐車場脇には無料の足湯があった。この広いスペースはかつての海。西行法師や芭蕉が訪れた時には、いくつもの小島が浮かぶ浅い海で、松島と並び賞せられる風景であった。特に春は島に咲いた桜が散って海面を埋め、その花の海をかき分けて小船が進むという風流があったそうだ。
 その島の名残は今、ところどころにある5〜10メートル程度の丘として存在している。いずれも盆栽のような松の木が根付いている。鳥海山の火山活動に起因する1840年の象潟大地震により、何と地盤が2〜4m隆起し、一夜で陸地となってしまったという。
象潟の町・松の林はかつての島 道の駅の天然温泉・足湯 広大な田畑はかつての海

       


●芭蕉が訪れた古刹・蚶満(かんまん)寺

 象潟の中心にある蚶満寺は、道の駅の賑わいとは対照的に、静かで古びた山門が歴史を感じさせる。古来、この地を訪れたのは、北条時頼、西行法師、松尾芭蕉。特に芭蕉は、奥の細道の目的地の一つがこの象潟。蚶満寺に来た時のことを「此の寺の方丈に座して簾を巻けば風景一眼の中に尽きて・・・」と記している。松島に匹敵する海と岩と松の名勝の中心地に寺があったことをうかがわせる。
 古刹だけあって、舟つなぎの岩や、木登り地蔵(モチの木の股に置かれた地蔵を地面におろしても、いつの間にか木の上に登っているという言い伝えあり)など見所も多い。
 芭蕉の像と句碑が境内にあり。芭蕉が訪れた時は吹浦あたりからずっと雨だったという。この地で芭蕉が詠んだ句。
 「象潟の雨に西施がねぶの花」

蚶満寺の山門 境内にある芭蕉像 残雪残る鳥海山(遠くて見えにくいかも?)