NO LONGER HUMAN!(人間失格)の旅――盛夏の青森を往く |
●人影のない集落をウミネコが飛ぶ |
竜飛岬に向かう道路 | 賑わう「斜陽館」 |
青森旅行は2000年8月、4日間を使って念願の十和田湖・奥入瀬と青森をまわる旅だった。この時期、妻が急死して一年余り経過し、公私とも多大なストレスを感じる中で、心身が疲弊していた。人生を賭けた気分転換がこの三泊四日の日程の課題だった。
人は苦しい時、北へ向かうのだと言う。逃避行も南国へは向かわない。私も、真夏のこととはいえ、北国の荒涼とした大地に立って心の中の澱みを換気したい気持ちで青森を選んだのだったが、最初の恐山以降は、天気も快晴続きで風もなく、南国的なおだやかで色鮮やかな風景となった。 交通手段は、当時、友人から無料で譲渡され乗っていた中古のミラ・ターボ。北陸自動車道・磐越自動車道を経由して東北自動車道に入り、前沢SAで車内泊。翌朝、八戸インターで降り、恐山に向かった。 小川原湖岸を通過する。周囲は荒れ果てた大地。荒涼感あふれる。無風状態で鏡と化した湖面に孤舟が一艘浮かぶ。 物見崎近くで小さな漁港を通過。こんな旅の偶然でもない限り、生涯のうちでこの地を訪れることはないだろうと思うと不思議な気持ちになる。集落では出歩く人影もなく動くものはウミネコぐらい。車からカメラを向け飛び立つ瞬間の海鳥を撮った。
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●憧れの地・太宰治の生家:斜陽館を訪ねる |
その日は奥入瀬から十和田湖に入ってホテル泊まり。翌朝、金木町に向かった。太宰治の出生地である。天気は快晴。 金木町に入るところで「斜陽の町かなぎ」と地元の看板が出ていた。自らを“斜陽の町”と呼んでいいのかな?と可笑しかった。 太宰の生家は斜陽館と呼ばれ、バスが次々と着く観光スポットになっている。皮肉なことに「斜陽館」が賑わいを見せていた。 斜陽館は太宰の生家を改装した資料館。その広さ、庭や土間の立派さに彼のバックグラウンドが偲ばれる。 英訳された太宰作品が展示されていた。 「人間失格」は "NO LONGER HUMAN" と書いてある。なかなかの英訳。「もはや人間ではない!」と直訳しそうなフレーズ。この時期の自分の自棄的な心境にぴったりしたのでこの旅の名前をノー・ロンガー・ヒューマンと名付けた。 ちなみに「斜陽」は"THE SUN SET" 。これはいかがなものか。私の思う斜陽のイメージは高かった陽が傾いてくる頃で、日没よりは前の時間帯のことだと思うのだが。サン・セットといわれるとどうも結びつかない。 |
太宰の生家・斜陽館 | 斜陽館の煉瓦塀 | 竜飛岬遠望:風力発電が立ち並ぶ |
●津軽海峡夏景色 |
金木から北へ北へと向かう。映画スタンドバイミーに出てくるような森林の中の単線の鉄路があったり、津軽三味線が聞こえてきそうな十三湖があったりして、さすがに関西にはあり得ない風景の連続。海沿いに出ると断崖の道、空も海もひたすら蒼い。 竜飛岬には風力発電が立ち並ぶ。風が強いところだとは想像できるがその時は全くの無風で風車は微動だにしない。天気が良いので北海道が間近に見える。紫陽花が花盛り、岬一帯を青紫に彩っていた。 岬はスピーカーから「ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと……」とエンドレスで津軽海峡冬景色が鳴っている。壮大な景色の美しさと歌謡曲の世俗が奇妙なバランス感を保っていた。 太宰が「津軽」で描いた半島の漁村を縫うように青森市へ向かい、三内丸山遺跡を見て東北自動車道で帰路に着く。冬は厳しいところだろうが、盛夏の青森はまるで楽園そのものの美しさと穏やかさであった。自分の心の混迷が復活再生に向かう予兆が感じられた。 |
竜飛岬から北海道をよく見える | 紫陽花が花盛り | 三内丸山遺跡 |