The summuer grass/ 'It is all that's left/ Of ancient worriors' dream (夏草や 兵〔つはもの〕どもが 夢の跡〔芭蕉〕)
 ――岩手県平泉、遠野、盛岡、三陸海岸を往く
浄土が浜に桜咲く 穴通磯を舟くぐる


●“五月雨の 降り残してや 光堂”(芭蕉)――平泉・中尊寺、毛越寺

 2007年のGWに宮城〜岩手を旅した。岩手県に入ったのは5月2日の夕方。宮城県松島から登米へ至り、その日のうちに予定を早めて平泉まで行くことにした。季節はちょうど五月、天候は小雨。芭蕉の句のシチュエーション通りだった。
 登米から一関街道を通る。行程も芭蕉と同じルート。さすがに道路は当時の面影もないが、周囲は広々とした緑の大地。普段、大阪で車に乗るのはけっこうストレスを感じるのだが、みちのく路を走るのは快適で飽きることがない。
 平泉に入り、中尊寺の駐車場に入れる。今回の宮城・岩手の行程ではほとんど駐車場代を必要としなかったが、さすがに中尊寺と毛越寺(もうつうじ)は有料、ただし敷地は広い。
 中尊寺へは杉木立に囲まれた月見坂を登る。休憩所から平泉の町が見下ろせる。光堂以外は本堂も自由に無料で拝観できる。終始小雨。
 光堂とは、金箔を貼って金閣寺のように輝かせた堂のことで、藤原三代の遺体を祀っている。保存のために堅牢な覆堂の中におさめられ、堂内の写真撮影は禁止。
 芭蕉来訪時は、覆堂は移築前の場所で、木造で鎌倉時代以前の建立のものであったようだ。「五月雨の 降り残してや 光堂」は奥の細道の中の最高秀句の一つと言われるが、句意は結構難しい。武隈の松、壺の碑(宮城県のページ参照)を見て、いにしえからの不変に心うたれた芭蕉の感興がいよいよクライマックスに達するのがこの中尊寺である。藤原三代の栄華の地がさびれた寒村になっている、しかし藤原氏のミイラを保存したこの光堂は、木造建築物を腐らせてしまう五月雨がまるでわざと降らなかったかのように、今に変わらぬ姿をとどめている、というのが概ねの意味らしい。
 中尊寺から毛越寺までは車で5分ばかり。極楽浄土を再現した池のある庭園で有名だ。池は広大で、曇り空を映して鈍く光る。ここにも句碑があったが、珍しいことに「夏草や 兵(つはもの)どもが 夢の跡」の英訳(新渡戸稲造訳)があった。本ページのタイトルに借用する。兵(つはもの)=worriors と知った。
中尊寺本堂 「五月雨の…」句碑 芭蕉の見た旧覆堂はこんな感じだったか 現在の金色堂の覆堂
      
中尊寺にある能舞台 池中立石・毛越寺庭園 大泉が池・毛越寺庭園 曲水の宴がおこなわれる鑓水(毛越寺)

●法廷の 前で石割る 桜の樹 ――遠野から盛岡へ

 5月2日は仙台に戻り宿泊、翌5月3日、鳴子温泉郷をめぐった後、遠野市を訪れた。民話のふるさと、日本の原風景と呼ばれている。伝承園の駐車場に停め、かっぱ渕を訪れる。河童の伝説のある小川として、多くの観光客が来訪する。
 伝承園前から盛岡へ向かう。高速道路ではないが信号がほとんどなく快適に走る。宵闇が迫る頃に盛岡市に着。宿にチェックインし、夕食を食べに駅前へ。わんこそばの有名店は入店待ち状態だったので、「わんこ」でない蕎麦と、別の店で「じゃじゃ麺」を食べた。後で駅ビル内で、「あさ開」(岩手県の酒造会社)がアンテナショップ的に開いている自然食を謳ったバイキングの店の存在を知った。このコンセプトには興味があり、ぜひ体験してみたいところだったがすでに二種類の麺で満腹状態のため断念した。
 翌朝、盛岡を発つにあたって裁判所前にある石割桜を見た。桜が巨大な石を割ったかに見える。実際は、石の割れたのが先で桜のほうが後からだそうだ。盛岡が五月上旬が桜の時期、ちょうど開花した石割桜を見ることができた。
 龍泉洞に向かう前に、葛巻町に寄った。以前、葛巻町で街づくりに取り組む人の講演を聞いて感動したことがあり、一度見ておきたかった場所だ。その方曰く、鉄道も高速道路もない、水田もできない、観光資源もない、人口より牛が多い、そんなないないづくしの街だった。それを逆手にとり、電力は風力と(風は豊富にある)牧牛によるバイオガスでエネルギーをまかない、唯一豊富にある山ぶどうでワインをつくり、牧場には全国からの子どもたちを体験学習で受け入れ、全国的な成功例として視察者多数、各地から講演にも呼ばれている。その葛巻町は確かに「何もない」ところだったが、今やその何もないことが貴重。なお、盛岡駅の土産物屋では葛巻ワインが一つのコーナーを占めていたので、販売力は確立していることが示されている。
 
      
遠野・かっぱ渕 かっぱ渕の祠と河童像 遠野の田園風景 遠野伝承園の建物
      
盛岡市・石割桜 石割桜が朝日を浴びて輝く 葛巻町の牧場風景 葛巻町の民家にて

●足の下 九八米の 地底の湖 ――龍泉洞から浄土が浜へ

 龍泉洞に着いた時は快晴で、初夏の陽射しに溢れていた。新洞と旧洞に分かれており、有名な地底の湖は旧洞のほうにあった。入口からは川を成してとうとうと水が溢れて出ていた。
 どうしてもここへ来たかったのは観光用の写真で神秘的な青さの地底湖を見たからであった。写真も撮ったが、とても再現できない。(なお、新洞は写真撮影禁止) ノーフラッシュで撮ったショットを、後処理で無理やり明るくしたものが下の写真。
 最深部は実に98メートルあり、以前にNHKが水中カメラを入れたらしい。渕に立つと、まったく混じり気のない透明な水が巨大な水柱となって縦に重なる。かくも透明な水が、底が見えないほどに深い。
 龍泉洞からは三陸海岸に出て、浄土が浜に寄る。人出は多かったが、海水は驚くほど透明だった。荒々しく削れたノコギリのような岩と、入り江になった内海の静かさが極楽浄土を連想させる。
 浄土が浜からは海岸線沿いに南下、穴通磯に寄った後は東北自動車道一関ICまで山越えで走り、あとは一路帰途に着く。川も洞窟も海も、透明な水が豊富な岩手の旅であった。
      
龍泉洞入口 龍泉洞第一地底湖 龍泉洞第三地底湖・水深98M 龍泉洞内天井部
浄土が浜 透明な浄土が浜の水 海浜に桜咲く 穴通磯展望台より見る海の青さ