2006年のGWに九州各県を巡った。熊本へは5月4日の夕方阿蘇から入り市内で宿泊、翌5日に熊本城と人吉市内を廻り、鹿児島へと向かった。
九重高原、牧ノ戸峠を越えると阿蘇の根子岳の特徴ある山稜が目に入る。周囲の地形は独特のもので、潅木もあまりなく草だけが生えている台地状の平原に、川筋だけが急斜面に侵食されている。久住山と阿蘇山にはさまれて、火山灰が堆積した地質によるものと思われる。
計画ではやまなみハイウエーで阿蘇へ入り、米塚などいくつか見る予定があったが、外輪山から中に入った途端に大渋滞にあい、日も暮れてしまった。阿蘇は観光の見どころも多い上に、温泉や乗馬などの施設も豊富、したがって休日は昼間人口が集中するようである。夕方には黒川温泉や別府などの宿泊地や、高速道路ICのある熊本方面へ向かう車が集中するようだ。
結局午後8時を廻って今夜の宿の熊本ステーションホテルに到着した。到着時刻は読めなかったので予約は最初から素泊まりにしていた。しかし、夕食を食べに出た熊本駅前は、思うような店もなく、結局駅ビルの熊本ラーメンを食べた。
これも後でわかったのだが、熊本市の街の構造は、JR駅は一等地ではなくどちらかと言えばはずれの方にあり、午後8時を廻ると駅前といえども閑散としている。中心地は、熊本城と市役所前あたりで、路面電車が一等地を走っている。
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やまなみハイウエーからの景色 |
台地を川筋が侵食:正面は阿蘇根子岳 |
草原に停めたわが愛車 |
●日本三名城 熊本城 |
熊本城へはチェックアウト後の朝一番に訪れた。桜馬場駐車場に車を停め、行幸坂を登る。桜堀端は桜の並木で開花期の華やかさが想像される。
頼当御門から天守閣を望む。加藤清正が築城し、加藤家2代・細川家11代の居城として続いた名城。西南の役でも難攻不落の城として威力を発揮したそうだ。しかしこの薩軍との戦いで天守閣は炎上し、現在のものは再建されたもの。
郭は周囲9Km(築城当時)、広さ約98万平方メートルで、その中に天守3、櫓49、櫓門18、城門29を持つ豪壮雄大な構え。なかでも「武者返し」と呼ばれる美しい曲線を描く石垣は有名。自然の地形を巧みに利用した独特の築城技術と言われている。
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朝もやの熊本城天守閣 |
日本三名城の風格 |
武者返しの美しい石垣 |
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南大手門前の石垣 |
弧を描く石垣と南大手門 |
二の丸の石垣と櫓 |
●人吉市の良さ再発見の波が |
人吉市は、以前から気になっていた街だが、関西からはアクセスが遠く訪れにくいと思っていた。今回、車で九州へ行ったので、九州自動車道が人吉を通過しているのを見て鹿児島へ行く途中にICを降りてみることにした。
人吉は、静かで、穏やかで、のんびりとした美しい街であった。味噌蔵、醤油蔵を町おこしに活用し、路地がカラー舗装され、イラストマップや表示板も設置されていた。
球磨川沿いに出ると、対岸に石垣が見える。人吉城址である。球磨川で練習中のカヌーが見える。人吉城址は石垣が残り、神社になっていた。城址の片側は球磨川が天然の堀となり、反対側は人工の掘割で囲まれている。
市内部以外の高速道路は山深い地点を走っている。標高も高いところが多く、トンネルも長い。山の連なりを見ていると、日本有数の山里、五木村、椎葉村などの存在が想像され、行ってみたい新たな衝動を覚えた。 |
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人吉・蔵めぐりコースの街並み |
茶の蔵 |
みそ・しょうゆ蔵 |
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日本三大急流・球磨川 |
河岸に築かれた人吉城の石垣 |
水量豊かな川が天然の防塞 |
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城址公園へ渡る石橋 |
城址側から見た石垣と球磨川 |
城址の池の石橋を渡る水鳥 |
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