これが祖国だ 舞鶴の 松のみどりが 瞳に沁みた(三波春夫) ――引揚の地、京都の海を訪ねて
赤煉瓦倉庫 釣り人:伊根の波止場にて


●祖国目前 尽きた生命を 海へ還す ――帰還の地を踏む 我もまた

 京都にも海がある。2008年4月、舞鶴と伊根を訪ねて日帰りの遠出をした。土地のもつ事実の重みに沈黙の一日とならざるを得なかった。    
 舞鶴は呉とよく似た軍港である。第二次世界大戦終戦後、満州や朝鮮半島など大陸からの引揚船の上陸地となった。私の父は、14〜15歳の年齢で単身満州に渡り、満州鉄道に勤務した。敗戦後、命からがら引き揚げてきて舞鶴の地を踏んだ。
 当時の引揚船が着いた岸壁と、引揚者が上陸前に収容された施設は、今は工場となっている。その地を見下ろす高台に、引揚記念館があり、展望台から俯瞰することができる。
 引揚記念館の展示物は涙を禁じえない。引揚船といっても貨物船を急ごしらえしたもので、客席などなく、甲板や船底に雑魚寝、祖国を目前にして航海中に生命がついえ、葬送で船尾から波間に消える人もあったという。
 記念館に、引き上げ体験者の三波春夫さんの歌が墨書されていた。「これが祖国だ…」で始まる万感の思いが迫った。このページの表題に使わせてもらった。
 なお、私の父は舞鶴に降り立ってから、実兄の紹介により舞鶴にある海上保安学校に入学し、燈台守となってその生涯をまっとうした。定年退職の年には全国の燈台守の代表の一人として、皇居で昭和天皇から表彰を受けた。貧しくで学問を志す余裕もなく満州に渡り、飢餓と闘いながら生命をつないだ父がいたから、私がこの世に存在する。
 民をまどわす戦争も、侵略も、もうご免だ。引揚記念館を出た。松の緑が眼にしみた。
 
庭から望む舞鶴引揚記念館 引揚桟橋跡地を俯瞰する木製デッキ 「ここに船が着いた」:引揚桟橋跡地
海を見下ろす椿の花 植樹の桜が満開を迎えていた 正面から見た引揚記念館


●デ・キリコの 絵に迷い込む 倉庫群 ――赤れんが博物館と倉庫群

 
 引揚記念館と赤れんが博物館は場所は離れているが、舞鶴の二大観光スポットとして共通入場券がセットされていた。東舞鶴の港に接して赤煉瓦倉庫群がある。途中、海上保安学校の建物の一部が見えた。呉市にある海上保安大学校は「大卒」格に対して、舞鶴の海上保安学校は「高卒」格。公務員の世界は学歴によって最初からコース分けされている。
 赤れんが博物館は、倉庫の一つを改装して博物館にしたものである。展示物は、砂漠地帯の日干し煉瓦など世界の多様な煉瓦と、煉瓦の建造物について。
 博物館の近くにある赤煉瓦倉庫群は、表通りからは店舗に改装されているところもあるが、裏手から見ると人通りもなく静寂そのものだった。       
 デ・キリコの絵の風景を思い出した。幾何的な人形の立つ背景の、ゴーストタウンのような街並み。       
 
赤れんが博物館 自衛艦も停泊する舞鶴港 赤れんが倉庫群とモニュメント
                  
キリコの絵を思わせる:赤れんが倉庫群 静寂:赤れんが倉庫群 海上保安学校の建物


●緩やかな 時間が流れる 伊根の舟屋 ――祖国が一番、平和が一番

 舞鶴から天橋立で有名な宮津を過ぎ、伊根まで足を伸ばした。
 平和で緩やかな時間が流れる京都の海。山が海に迫るわずかな海岸線の土地に、船と暮らしが共存した家が建ち並ぶ。       
 防波堤には釣り人。子供たちの遊ぶ声が遠くから聞こえてくる。穏やかな日差しが暮らしを包み込んでいる。       
 祖国が一番、平和が一番。
 

      


山と海に挟まれた伊根集落 伊根の舟屋群 防波堤の釣り人