2006年のGWに九州各県を巡った。長崎へは5月3日の夕方から雲仙・小浜温泉に入り4日の朝に雲仙を越え島原を訪れた。26年前に長崎市に行ったことがあったので、今回は雲仙・島原を目的地に選んだ。まだ記憶に新しいが、90年の普賢岳噴火と火砕流・土石流の被害のその後がどうなっているのかも興味深かった。
計画では奴国丘資料館(福岡県のページに記載)から唐津、呼子、伊万里、平戸を廻る予定だったが、生憎の渋滞によって唐津から佐賀へ戻り長崎自動車道に乗った。この時間の長崎道に渋滞はなかった。この日の宿の小浜温泉は東シナ海に面した海辺の温泉で、夕陽を見ながら入れる海上露天風呂が名物であった。したがって、到着時刻が日没前かどうかが問題 になる。
宿へは6時半過ぎに到着、そこで無料券をもらって海上露天風呂へ向かう。港に流れ込む小さな河口からもうもうと湯気が立っており、温泉らしさが感じられる。小浜温泉は湯の温度が最高で百度もあり、日本一の高温だそうだ。海上温泉というからにはどんなつくりになっているかと思っていたが、海浜の防波堤に料金所の小屋があり、防波堤に設置された木のドアから階段を下りたところに湯船があった。温泉は防波堤の外、屋根はあるが海側に壁はなく、脱衣場はあるがシャンプー・石鹸は使用できない。浴槽の下はテトラポッド、その下は波が洗う。満潮時には海面は湯船からわずか20センチ下になるらしい。
時刻は午後7時、ちょうどサンセットに間に合った。露天の温泉に入りながら見る海の夕景は格別であった。
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湯けむりの小浜温泉 |
湧出温度は日本最高 |
海上温泉で夕陽を眺める |
●キリシタン殉教の歴史を秘めた雲仙地獄 |
翌朝、海辺の小浜温泉から山中の雲仙温泉に向かう。延々と上り坂を走り、ちょうど島原半島の中心部にある雲仙温泉に到着する。
温泉街の中心部に雲仙地獄がある。もうもうと水蒸気が噴気孔から噴出している。遊歩道で地獄を巡ることができる。熱泥から泡となって湧き出すところ、硫黄が結晶化して干上がっている噴気孔、そして温泉が湧出しているところへは無数の導管が設置され近隣の旅館に引き込まれていることをうかがわせる。
ボーリングでできた湯量の乏しい新興の温泉と違い、活火山の懐にある雲仙は野趣にあふれたヴィヴィッドな温泉であると感じた。
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水蒸気に包まれる雲仙地獄 |
旅館街に隣接する |
展望台への遊歩道 |
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●火砕流 跡地の畑に 苺摘む |
島原に下りて雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)をめざした。途中、水量の少ない川を高い位置で越える大橋がいくつも架かっていた。後からここが普賢岳から火砕流が流れ下った跡だと知った。この橋は、その災害の教訓に、火砕流や土石流があっても大丈夫な高さに設定されているようだ。
災害記念館の立っている場所は、災害時の土石流等が海に流れ込んで埋め立てられた土地に立地している。周囲は広々として、かつて災害に見舞われたことが嘘のようなのどかさ。ただ、溶岩ドームが形成された普賢岳の山容が不気味さを感じさせる。なんと、噴火後に標高が100メートル以上も高くなったという。現在は噴火も落着き、山頂にも登れるそうだ。
この災害記念館には体験型映像システムがあり、球形スクリーンと動く観客席(火山の熱を感じさせる温風つき)で迫力がある。USJのアトラクションなみの装置であった。
また、世界の火山の資料展示が充実している。息を呑んでしまうことには、41名が犠牲になった火砕流の遺品、テレビカメラ等が展示されていた。犠牲者は火山学者や取材のマスコミ関係者が多かったのである。合掌。
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火砕流の流れた跡に鉄橋が架かる |
雲仙岳災害記念館・がまだすドーム |
災害を物語る展示物 |
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主を亡くしたTVカメラの残骸 |
記念館前から普賢岳を望む |
中庭の岩は噴火時の石 |
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