2007年2月10日〜12日の連休、生涯初めてとなる沖縄旅行を敢行した。今回ばかりはいつもの貧乏旅はできず、知り合いの旅行会社の社長さんに頼んで航空券と宿泊のパックをつくってもらった。全国で沖縄だけにしかないDFS(免税店)行きで誘い、娘も同行することになった。なお、彼女の目下の趣味は「ブランド品買いあさり」である。
関西空港から約二時間。那覇空港は快晴だった。2月で厚手のコートは要らないが上着なしでいいというほどでもない。沖縄といえども冬はそれなりに涼しい。
早速ゆいレール(モノレール)に乗り込み、那覇市街へ。都市部は本土と同じような建物が並ぶが、街路樹の種類が違っている。木造の民家はほとんどなく、コンクリート造りが多い。
県庁前駅で下車、まずはホテルにチェックインし、徒歩で国際通りへ向かう。県庁側入口から国際通りを歩き、市場を見る。かつては地元の人々のための街であったのだろうが、現在はすっかり観光用の街になっていた。
国際通りを抜け牧志駅より再びゆいレールに乗りおもろまち駅へ移動、駅と直結しているDFSへ向かう。 DFSは、通常は空港内にある免税店を街の中につくった大規模施設で、ここでの買い物はカードで登録し帰りの空港のカウンターで品物を受け取るシステム。したがって地元の人が買いに来ても持って帰ることはできない。
自分自身は関心がないので知らなかった世界だが、化粧品、アクセサリー、バッグ、衣類などの国際的なブランドのブースが並んでいる。一品一品の金額にも驚かされるがこれでも30%等安いという。それにしても、値札が見えづらくなっているのはイメージ優先の陳列方法であろうがわれら庶民派の客にとっては不便。
DFS内のフードスタジアムにて夕食、再び国際通りに戻り、民謡ライブを見る。店はガイドブックが頼りだったが、実はいたるところでライブがおこなわれていることを後から知った。
トラディショナルな琉球民謡だけでなく「涙そうそう」や「島唄」のような沖縄テイストのポップスも、民謡に姿を変え演じられる。全国でも沖縄だけが、「保存会の民謡」ではなく新しいものを取り入れながら現代に生きる民謡が展開されていることを実感した。ドラムセット、エレキベースと三線といった編成も別に珍しくない。
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那覇空港:滑走路の向こうは東シナ海 |
ゆいレール駅より宿泊ホテルを見る |
国際通り入口:おきなわ屋の看板は一番多く見かけた |
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国際通りに鎮座するシーサー |
市場通り |
沖縄民謡ライブの店 |
●沈黙の重み 真実の迫力――摩文仁の丘に来て |
翌日はDFSでレンタカーを借り、南部へと向かった。郊外へ外れても、田舎らしい木造家屋がほとんど現われないことに気付く。水田はなく、季節外れで緑を失ったサトウキビ畑が続く。
ひめゆりの塔へ到着した。日本人である以上、見ておかなくてはならないという思いがこの地へ駆り立てた。「塔」というよりは慰霊の碑、花をたむける。 ガジュマルの樹が悲劇の舞台にどっしりと根を降ろしている。
ひめゆりの塔から平和祈念公園まではそう遠くない。広大な無料駐車場に車を停めると琉球独特の赤瓦を載せた平和祈念館と、白い慰霊塔が目に入る。祈念館は想像以上に内容の深い展示で圧倒された。第二次世界大戦末期、アメリカ軍は沖縄の中部を西海岸から上陸し、あっという間に現在の嘉手納基地あたりを制圧したことが示されている。日本軍、民衆ともに北はやんばるに逃げ込み、南はひめゆりの塔や祈念館のある南部の海際まで追い詰められて、集団自決などの悲劇を生む事になった。
祈念館に隣接する、摩文仁の丘に広がる平和の礎(いしじ)を訪れる。軍・民にかかわりなく全ての戦争犠牲者の名が、村ごとに礎に刻み込まれている。その一つ一つの礎が集まって丘一面を埋めつくす。その圧倒的な数に、言葉を失った。平和のそよ風が暴風にかわらないことを祈るばかりだ。
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ショッキングだった展示:
ガマの中の日本兵と沖縄の民を再現 |
真実の重み:
戦争証言台が沈黙のうちに訴えかける |
平和の礎:
全ての戦争犠牲者の名が刻まれている |
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●“夕陽差す 基地の広さの 内と外”――在日米軍基地と同居する街を実感 |
斎場御嶽を見ることも今回の目的の一つであった。「せーふぁうたき」と読む。信仰の対象となる神聖な場所である。原生林の中に、沖縄特有の石灰岩が侵食された岩が現れる。巨大な岩の間を抜けると木立ちの中から久高島が望める。
次に、高速道路に乗り西海岸にある万座毛に向かう。レンタカーのカーナビ画面を見ると、紫色で塗られた場所がしばしば現れる。在日米軍基地の敷地である。道路があっても日本人が自由に通行するわけにいかない。沖縄には日本全土の在日米軍基地の七割が集中し、その占有面積は沖縄県の一割を超える。島の真ん中にある広大な敷地、島人が自由に通行もできない区域の規模の大きさを実感せざるを得ない。
万座毛は東シナ会の荒波に浸食された断崖の海岸線で、岩の上には平らな草地(毛)が広がっている。パイナップル林の光景は本土では見られないものだ。
北谷に向かう道は、米軍のフェンスに沿っているので、いよいよ基地の姿を実感することになる。アメリカ的な一戸建住宅、戦闘機の停まる滑走路、夕方になってゲートから街へ繰り出す車には映画で出てくる「軍曹」のような男が家族連れを乗せている。
那覇に戻る前に北谷のアメリカンビレッジに立ち寄った。アミューズメント施設、ショッピングセンター、米国輸入品、米軍放出品を売り物にしたショップまである混交文化の観光施設。かつて米軍と日本軍の戦いに蹂躙され、今もまだ在日米軍基地の負担を強いられながら、夜な夜な唄い踊る人々。「なんくるないさー」(どうってことないさの意)――万座毛の土産物屋に吊るされていたTシャツのロゴを思い返した。
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摩文仁の丘から見る慶座絶壁 |
斎場御嶽(せーふぁうたき) |
御嶽から久高島を望む |
●フォーエバー平和! ――さらば沖縄 |
三日目の朝はチェックアウトの後、首里城へと向かう。地図を見る限りモノレール駅から歩けそうだったが、入口(守礼の門)の位置関係で結局タクシーに乗ることになる。ホテルからタクシーで来たほうがよかった(沖縄のタクシーは全国一安い)。
守礼の門は想像よりも小さかったが、赤く塗られた色合いが独特である。首里城は立派なものだった。本土の城とは根本的につくりが違っている。小高い丘の上にある首里城の城壁から街を見下ろす。 二月と思えない穏やかな南国の陽差し。この平和な日々を脅かしてはならない。
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