冬晴れや 芭蕉も歩いた 草加宿――埼玉県草加市 |
●奥の細道を歩く第2回 | ||||||
奥の細道を歩くテーマを選んでから、第一回目は東京・深川の芭蕉庵と奥の細道出立の地を歩いた。その第二回目が埼玉県草加市である。なお、奥の細道では、「草加といふ宿」に泊まったことになっているが、実際は草加を経て粕壁(現・春日部市)まで行って泊まったらしい。
私自身は東京出張の翌日を使っての旅である。前日は池袋で名古屋の先輩と深酒をして、人形町のビジネスホテルに泊まった。二日酔いもなく目覚め、浅草を経由して東武電車で草加駅に着く。前日に降った雪が少し残っていて、風が強い冬晴れの日だった。 草加駅を東口へ出ると草加煎餅を焼く「おせんさん」の像と、「草加石清水」と名づけられた噴水がある。駅前を東武線沿いに北へ歩くと、ほどなく草加歴史資料館がある。小学校の旧校舎を活用したものらしい。草加宿の発祥のいわれや絵地図、草加煎餅の道具、民具、農具などが展示・収納されている。この展示によると、草加はもともと集落ではなかったが、街道沿いに宿場が必要になったことからつくられたようである。川筋が一定せず「綾」のように流れたことから名づけられた「綾瀬川」の舟と、日光街道が接する交通の要衝であったことがうかがえる。 丸井を通り過ぎてすぐ、日光街道(旧街道)に出る。
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●草加煎餅発祥の地 | ||||||
資料館を出て、東福寺へ。草加宿を開宿したという大川 図書の創建と伝えられる。 東福寺の本堂や鐘楼は、さすがに風格がある。周囲に高い建物も鬱蒼とした樹木もないせいか、オープンスペースで明るい印象。雪解けが陽光を反射させている庫裏に宅配便の車が止まっていた。拙句“宅配便 雪を落として 庫裏に着く” 日光街道に出て北に向かうと、草加煎餅発祥の地の碑がある。煎餅屋さんで「もっとも草加煎餅の原型に近いもの」を選んでもらい土産物とする。後日食べたところ、実に固い。奈良の固焼き煎餅よりさらに固く、素朴なうまさがある。煎餅のアイデンティティはこれだ、という気がした。
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●松の並木と芭蕉像 | ||||||
日光街道が綾瀬川に当たるところに札場辻公園があり、芭蕉像が立っている。寒風の中、芭蕉は、千住の方角を力強く振り返っている。 ここから綾瀬川沿いに松の並木が続く遊歩道になっている。周囲は自動車道や団地があるが、この道だけは往時の風景を偲ばせるものとなっている。途中幹線道路と交差するところがあり、「百代橋」を名づけられた陸橋で車道を跨ぐことになるが、感心したことに、これが木造のアーチ状の橋。景観を損ねていない。なお、橋の名は「奥のほそ道」の書き出しの「月日は百代の過客にして…」に由来している。 橋に登ると、飼い犬をつれて散歩する人、ジョギングする人、いろいろな人が行き交っている。 千住方面に向き返り、草加宿を見下ろす。深川を立った芭蕉は、舟で千住に上がり、この草加宿を歩いて、日光、さらに奥州へと歩を進めたのであろう。セキュリティも万全ではない時代のこと、前途を思うとプレッシャーが自分を押しつぶしそうになると書き残している。
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