2006年9月23日から24日の両日、珍しく娘と二人旅として立山黒部アルペンルートを訪れた。
立山までは車で向かう。一度立山駅前を行過ぎて落差日本一といわれる称名の滝を見る。駐車場から滝が見えるポイントまでは結構歩いた。滝は4段に折れ曲がって350米を落ちてくるが、その全容を一目で見ることは難しい。滝つぼからの距離はそう近くはないが、落下する滝の勢いと水煙は迫力充分であった。称名の滝の往復に見える悪城の壁は凄かった。氷河が削ったフィヨルドを思わせるような垂直の絶壁が道路を見下ろすようにそそり立っている。
立山駅前には充分なスペースで駐車場が確保されており、無料なので大いに助かる。が、ここからの交通機関はそれぞれに料金がかかり、結構な出費を要する。これも秘境ともいうべき地点にまで気軽に脚を踏み入れることの代償かと思える。
立山駅からはケーブルにて美女平へ。美女平からは高原バスで室堂まで一気に上る。この道路には一般車両を乗り入れさせないので、道路は渋滞知らずであった。
乗鞍岳とか、いくつかの山岳観光で実施されているこの方式は、自然を守るためにも、観光客の利便のためにも大変正しいものだと思う。できれば各地で取り組んでほしいし、国や地方自治体も政策的にそちらに誘導してほしいものだ。この立山でも駐車場はたっぷりと確保して無料で利用できるので、山の上までマイカーが押し寄せて環境破壊と渋滞を引き起こすことを思えば、多少の不便さを補ってあまりある大きな利益をもたらすものと考えられる。以前、徳島・剣山や長野・小布施町でも感じたが、山麓の町に広大な駐車場を確保し、登山口まで電気自動車をピストンで走らせるほうが、地元の経済にとってもはるかに利をもたらすように思う。
ちょうど夕暮れ時で、雲海に沈む夕焼けが輝いていた。車中はカメラを向けて写真を撮る人が多く、運転手は気を利かせてよいポイントで車を停めてくれた。おかげで雲海の夕陽をカメラに収めることができたことは幸運であった。
ある高度まできたら嘘のように空が晴れ、眼下に一面に雲の原が広がる。地上で見るこれほどはっきりした雲海は初めてのことだ。
バスは約40分を要して終点室堂へ。標高2450米。バスターミナルとホテル立山が一体となっていた。風向きのせいか、バスを降りた瞬間に硫黄の匂いが鼻を衝いた。
ホテル立山の夕食は、この標高に立地するにしては料亭なみの内容で満足した。かつて大食漢といわれた私もそのDNAを受け継いだ娘も、ともに満足した。
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称名の滝 |
悪城の壁 |
高原バス車窓から見る雲海と夕陽 |
二日目、雲海の朝 |
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九月にして残雪を見る |
正面が雄山、右がホテル立山 |
ホテル裏手にある玉殿の湧水 |
室堂周辺は荒涼とした風景 |
●三〇〇〇米 雄山の峰を 湖面に映す |
翌朝、早く目を覚ました私は、朝食までの一時間を周辺散歩に充てた。ホテルから外へ出ると、すぐに原野になっている。森林限界を超えているので高さのある樹木は全くない。せいぜいハイマツが岩の上に張り付くようにあるぐらい。石畳の遊歩道が周囲に延びている。立山連峰の主峰の一つ、三〇〇〇米の雄山が目の前にある。肩にある山小屋が見える。動いている人が見えるのではないかと思えるぐらいに清冽な朝の空気であった。
みくりが池に歩を進める。かつての火口跡に水を湛えた神秘的な池である。流れ込む川も流れ出すか川もなく、深い碧の水。風もなく、湖面は鏡のように凪いでいる。雄山が逆さに映っていた。逆さ冨士ならぬ逆さ立山。池の周囲をハイマツの緑が彩っていた。
池の畔から下方に向かって石段の坂道が下っている。その先は黄金色の岩石が広がり真っ白な噴煙がもうもうと噴出している地獄谷が広がる。
地獄谷へ降りると、遊歩道以外の立ち入りは危険、と看板が警告している。水蒸気や、硫黄泉がいたるところから噴き出している。その中の一つで温泉卵をつくるために作業している人影が一つ。他に歩く人もなく、幻想的な異郷に迷い込んだ心境。
谷から戻る時の登りは息が切れた。空気の薄さも作用しているようだ。ホテルに戻ってバイキング形式の朝食になったが、一時間歩いてコンディション充分の私は2回も取りに廻って存分に食べたのだが、その間寝ていた娘が同じぐらいの量をたいらげたのには少々驚いた。
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みくりが池・奥は剣岳 |
みくりが池温泉 |
立山連峰が湖面に映る |
朝日に輝くホテル立山 |
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谷の下一帯が噴煙の上がる地獄谷 |
噴出物で塔が形成されている |
温泉卵をつくる人あり |
沸騰して湧き出すブルーの湯 |
●「黒部ダム物語」の追体験 |
二日目はまずトロリーバスでトンネルを走り大観峰へ、真下に黒部湖の青緑の湖面が光る。大観峰からはロープウェイで黒部平へ下る。ダイナミックな斜面。最後にケーブルカーに乗り換えて黒部湖着。一つ一つ乗り換えていくのが結構大変。
立山・黒部アルペンルートとして通り抜けることが一つの「売り」ではあろうが、団体客が多いと一つ一つで待たされることにもなってストレスが残る。自分自身の感想としては、立山は立山、黒部は黒部と別に行くほうがいいように思えた。それぞれ、見ごたえはさすがに充分で他の場所では決して味わうことができない。
黒部湖に出てすぐ、ダムから下を覗き込んでその高さと角度に足がすくむ。アーチ式のダムで弓なりに反っている箇所に立つので、嫌が上でも高度感が増す。下流は日本有数のV字谷。ダム工事がなければ人を寄せ付けることのない厳しい自然の真っ只中にある。
私の少年時代、我が家に「黒部ダム物語」という本があった。巨大タンカーの建造物語とカップリングになった本で、コンセプトは現代でいうと「プロジェクトX」に近い。黒部ダム(くろよんダムともいう)を造る難工事の数々が克明に記録されていた。当時はいちばん想像力が働いた時期であったので、少年の私の頭の中には、見たことがなくても黒部のイメージが完全に出来上がっていた。
本の記述で、黒部の伝説が紹介されている。だいだらぼっちという巨人が巨大な斧を山腹に叩き込んで抜いた後が黒部峡谷となったという話。そんな垂直な壁を穿ち、板を渡して人がやっと通れる関電歩道というものをつくり、欅平からボッカ(人足)で機材を運んでいく話。しかもこの危険きわまりない道で何人も谷底に墜落して命を落としたという。子供心に、どんなに価値のある建造物であっても、そんなに人が死ぬことが淡々と当たり前のようにおこなわれる工事はおかしいのではないかと思った記憶がある。
資材搬入は、この峡谷歩行ルート以外に、大町からトンネルを掘ってくる大町ルート(これは現在大町からの観光用トロリーバス路線に利用されている)、及び今日乗り物を乗り継いで越えてきた立山連峰を、冬場の雪上をブルドーザーで越えてくるルートもあったらしい。巨大な衝立のように急峻な立山連峰の山肌を見ていると、たとえ雪が積もったとしても、これは考えられないぐらいに危険なルートであったろう。
この日の黒部湖は快晴の陽射しを受けて穏やかに静まっている。観光用のダムの放水が、谷底に向かって翳りゆく空間に虹を架けていた。
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大観峰より黒部湖を見下ろす |
大観峰から降りるロープウェイ |
黒部側から見た立山連峰 |
後立山連峰・中央は赤沢岳 |
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黒部ダムと黒部湖 |
放水に架かる虹 |
迫力ある放水 |
帰路のケーブルカー |
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