「大漁」の 港は詩人で 街おこし ――山口県長門市仙崎〜金子みすずの原点を体感する
青海島 金子みすずの部屋


●海の底 深くまで差す 舟の影 ――青海島の断崖を越えて海を見る

 2006年8月14日、山口県長門市仙崎港、他を回った。山口は中学三年から高校卒業までを徳山市(現・周南市)に居住したので、かかわりは浅くない。その頃は存在を知らずに過ごし、後に衝撃を持つことになる金子みすずの出身地、長門市仙崎を訪れることを今回の主目的とした。
 私が居た徳山は「長州」ではなく「周防」の国で、瀬戸内海側であった。「長門」の国、特に下関から萩に至る日本海側は今まで縁がなかったので、今回はまず、中国自動車道を降り土井ケ浜遺跡をめざした。
 土井ケ浜は、青い海と白い砂の美しい海岸線が長く続いている。夏場は砂浜が格好の海水浴場となっている。土井ケ浜遺跡からは弥生人骨が多数、きわめて良い状態で出土した。人類学ミュージアムでは、その出土状況のままを半円ドームで覆って保存するという画期的な展示がされている。ちょうど訪れた日が月曜で休館日のため、再現された竪穴式住居や蓮池、古代米(赤米)が植えられた水田を巡っただけで移動した。
 長門市へ向かう海岸線は、非常に変化に富んで美しい。白い砂浜あり、庭石のように造型された岩があり。特に油谷湾の海岸の光景は出色であった。
 長門市仙崎に着くと、まず橋を渡って青海島に渡った。島へは橋を通じて車で行くことができる。ただし、一番一般的なのは、仙崎の東側の港で観光船に乗り、海から海岸美を眺めるコースだということだった。
 市営の駐車場に停め、山を越える遊歩道を登り、外海に面した海岸へと降りる。海岸線は急峻な断崖となっていて、サスペンスドラマのロケハンが大喜びしそうな景色が連続する。
 上から見た海が青い。海の青さの本質は、底が白いということだ。白い砂が海底を占めていることによって、水が青く輝く。青の本質は白である。
 盛夏の時期で遊泳している一団が見える。遊覧の小船の影や浮き袋で戯れる子の影が、透明な水を通過して海底に映っていた。
 
土井ケ浜遺跡 人類学ミュージアム遠景 蓮の花とミュージアム 土井ケ浜遺跡 竪穴式住居

青海島・海上アルプス とにかく海が青い!★拡大 青海島・静ケ浦 青海島・海を臨む断崖
●無理解に憤る 軒先 福寿草

 仙崎に戻り、波止場を利用した駐車場に停める。無料だったので助かるが直射日光を避けるものは何もない。停泊している漁船が緩やかに揺れていた。
 標識に従い、金子みすず記念館へ向かう。仙崎駅から真っ直ぐに続くメインの商店街は“みすずロード”と名付けられている。街の入口には「みすずの街仙崎」と大書されていた。町おこしの最重点アイテムになっていることは容易にうかがえる。
 金子みすず記念館は、みすずが育った実家の書店を再現した「金子文英堂」と、隣接した「金子みすず記念館」が連結した施設であった。私のような、みすず目当ての観光客を集めている。
 金子文英堂はみすずの時代の商品であったレトロな雑誌、筆などの文房具を展示(市販ではない)して再現している。黒ずんだ木製の階段を二階に上ると、通りを見下ろす窓に面してみすずの部屋があった。実際もこの位置であったらしい。
 窓から通りを見ると、市井のさまざまな様相が居ながらにして感じ取れる。喧騒、活況、静寂。商い、ものづくり、学問、信仰、祭礼。あるいは葬礼、婚礼、災害もあったかも知れない。こうした環境が詩作とは無縁でなかったことが感じられる。
 おおばいわしの「大漁」を詠った当時、仙崎の浜は、海岸線までびっしりと建屋が並び、長州だけでなく遠方からも漁師が集まってくる大変な活況であったらしい。それにしても、みすずの詩作を禁じ、わずか26歳で死に追いやった無教養で傲慢な「夫」の存在には、憤るしかない。みすずを生み出したこの街は、「夫」も生み出したのだ。
      
「大漁」でにぎわった仙崎港 金子みすず記念館への道 再現された金子文英堂
             
金子文英堂の書棚 文具類も再現されている 金子みすずの机:窓から通りを見下ろせる

●プロジェクター みすずの筆跡 投影す

 山口県で高校時代を過ごした私であったが当時は金子みすずの存在を知らなかった。郷土の詩人といえば中原中也か山頭火というのが共通理解だった。10数年前、朝日新聞が大きく取り上げた紙面によってみすずの存在を知ることになった。最初に目にしたのは「大漁」であった。
 書店で購入して読んだ中には、空も地面も見えない「中の雪」の哀しさを詠ったもの、子供の頃、泣き寝入った時に悔しさと疲労感が入り交じった混沌を「睫毛の虹」と表現したり、その言葉の一つ一つが心を突いた。
 彼女の故郷を訪れてみて、頭に浮かんできたのは、酒屋のおばさんの飼い犬が亡くなったことを描いた詩であった。子供たちにとって、酒屋のおばさんは口うるさく、怖い存在であった。その酒屋の犬・クロが死んで、おばさんがおろおろと涙まじりにうろたえる姿を目にする。見てはならないものを見たような気がする、そんな人間観が覆されたできごとを、極限まで虚飾を排した短い言葉で表現された詩であった。
 かつてのこの通りに、酒屋があって、近所の口うるさいおばさんがいて、といった生活の情感が似つかわしい街であった。
 私にとってみすずの詩の魅力は、@鋭い着眼、Aアンチテーゼの提示、B優しさ の三点に集約される。文面に露骨には表れないが、ある種の「毒」、恨みの声が聞こえてくるようにも思える。
 記念館にはみすずの自筆で詩作を書き付けた手帳(レプリカ)が展示されていた。いわゆる達筆でもなく、丸文字でもなく、今まで見たどんな筆跡よりも優い字であった。その筆跡でいくつかの作品が天井から投影され、床に映っている。紙をかざすとそこに詩が浮かび上がり、掌で受けると微かに温かくみすずの筆跡が映し出された。
      
みすずの出身校・瀬戸崎小学校跡 当地でよく見る焼板を壁材にした民家 悠々と空を舞うトンビ
秋吉台:カルスト台地 秋吉台:カレンフェルド 夏の秋吉台を後にする